#3 パンを焼く
エロアニメの神様時刻は夕刻になっていました。
賀島さんが
ご自宅に戻られるというので、
私もご一緒させて頂きました。
秋葉原から
電車を乗り継いで1時間強、
さらにそこから車で10分ほど。
関東地方の一角にある
賀島さんの仕事場兼ご自宅は、
四方を畑に囲まれた
大変風光明媚な場所にありました。
「……何だろう、
軽くディスられてる気がする」
「私、知りませんでした。
シナリオライターというお仕事は、
制作会社にお勤めするわけでは
ないんですね?」
「そうだよ。
エロアニメに限った話じゃないけど
昔からアニメのシナリオライターは
大体自宅作業だよ」
「住むのにこの町を選んだのは
何か理由があるんですか?」
「選んだも何も、
俺は元々この辺の出身だよ。
母子家庭の一人っ子だから
親の面倒もみなきゃいかんし、
家の墓だってあるし。
今住んでる家を買ったのは、
結婚して子供が産まれた後だけど」
賀島さんのお宅は
母屋と離れの二棟があって、
母屋の一階には賀島さんのお母様が、
離れには
奥様と娘さん達が住まわれています。
賀島さんは
母屋の二階を仕事場にされていました。
「こういう仕事だから、
子供たちと一つ屋根の下じゃ
どうも落ち着かないしさ。
駅から離れててもいいから、
二棟あって広めの物件を選んだわけ」
「……ま、昭和の物件だし、
ガスはプロパン、水道は井戸、
下水は浄化槽で、
取柄と言ったら
広さぐらいのもんだよ」
賀島さんの仕事場は
仮眠スペースもある十畳の洋室と
書籍等が並んでいる
八畳の和室の二間があります。
なるほど確かに広々と……
「……あら?……あららら?」
お部屋は二間とも
背の高い本棚に囲まれて
窮屈にさえ感じます。
雨戸を締め切ったままの窓の前にも
本棚が立っていて
昼間でも明かりが必要なほど
薄暗い部屋でした。
「……子供の頃から集めてたヤツも
実家から皆持ってきたからなー
これでも下の娘が産まれた時、
随分処分したんだけどね」
お部屋にあったのは
コミックスが3407冊、
その他書籍が1141冊、
映画パンフレットが434冊、
DVDが455枚、
CDが403枚、
レコードやビデオや
LDやカセットテープ等々、
夥しい量の収集物でした。
「……凄いな、
そんな一瞬で数えられるもんなのか。
さっすが神様」
「神を形容する言葉として、
全てを能く知る……
【全知全能】
と言ったりしますでしょ?
私達は
知覚することには長けているのです」
「なるほどなー
ま、暇があったら
中身も見てみるといい。
ここに残してあるのは
どれも俺のお勧めばっかりだから」
「あら、中身についても
しっかり把握してますよ?」
「マジで!?」
「はい。
お疑いでしたら、
試しに何か聞いてみて下さいな」
「溜池ゴローさんの『SEX会話力』
第一章のタイトルは?」
「『セックスのたびに童貞に戻れ』
ですね」
「おー、合ってる合ってる」
この本は、
賀島さんの机のすぐ隣の棚にあって、
何度も読み返したのが
随分と痛んでいました。
「『ルパン三世』の
TVアニメパート2で、
サブタイトルが入る前にルパンが
『タイトル!』
って言っちゃうのは第何話?」
「第14話の
『カリブ海の大冒険』ですね」
「そうそう、
これ子供の頃見てて
ビックリしたんだよねー
よく見るとルパンの口は
ニヤッと笑ってるだけだから、
もしかしたらアドリブなのかね?」
「さあ、そこまではちょっと……」
「あ、そういうのは分からないんだ」
「どなたかがそのアドリブについて
文章や映像で語っていれば、
その内容を知覚できますけど
記録に残っていない出来事は
知ることはできないんです」
「なるほど、そういう仕組みか
つまり形に残っていない
作品の裏話とかは分からないわけだ」
「はい、
ですから貴方に色々と教えて頂けると
とても助かります」
ちなみにこのエピソード、
現在では配信で
簡単に視聴できるようです。
「文字じゃなくて台詞とかは分かるかな
『クリィミーマミ』のOVA
『永遠のワンスモア』の前半部でさ、
マミがコンサートの最後に
舞台から挨拶した台詞は言える?」
「はい、ええと……
『一年間応援してくれたファンの皆さん
一緒に頑張ったスタッフの皆さん
私は、マミは最後までわがままでした
もうお別れの時間です
本当に、本当に今日までありがとう
今は、ありがとう以外の言葉は
見つかりません
本当に
ありがとうございましたー!』」
「そうそう……
この後に絶妙なタイミングで
『デリケートに好きして』
のサビが来るんだよねー……」
「ちなみにこの部分、
TVアニメの再編集ですよね?」
「でも音響は
全部新規で撮り直してるんだ。
TV版では『私は』のとこ
『あたしは』って言ってるのよ」
【私】でも【あたし】でも
どちらでも良いように
思われましたが、
その辺が気になるのが
シナリオライターなのでしょうか?
「……これは分かるかな?
『俺はまだ本気出してないだけ』の
原作27話の扉絵で、雑誌掲載時に
付いてたキャッチコピーは?」
「分かりますよ。
そして、
大黒シズオ(42)から
「俺はまだ本気出してないだけ」と
思っている、すべての人へ――
ですよね?」
「うんうん、それよそれ」
「この27話と
その前の26話の掲載分だけ
雑誌を切り抜いてますね?」
「そうそう、
26話の『パンを焼く』と
27話の『君は薔薇より美しい』は
名編でね……
キャッチコピーや
柱のコピーも良くて
捨てられなかったのよ」
既に賀島さんは
私の能力を確かめるというより、
自分の思い出の中の感動を
反芻しているように思われました。
ただそれだけのことなのに、
彼はとてもとても幸せそうです。
「……で、神様はどうだい?
コミックやら本やらDVDやら
色々あるけど、
何か気に入ったのはあったかい?」
「……いえ、あの、ごめんなさい。
私達はそういうの……ないんです」
「そういうの?」
「人間の皆さんが創作したものを
知覚することはできるんですけど
それについての感想とか、
どれが気に入ったとか
そういうの感じたりできないんです」
「ああそっか……そうなんだ……
そりゃまた気の毒になぁ……
悪いこと聞いちゃったな」
……気の毒?
人間である賀島さんが
神である私を何故可哀想に思うのか、
その時の私には
まだよく分かりませんでした。
結局この日の後も、
私は折に触れて
この仕事場を訪ねることになります。
もし宜しければ、
また私の話を聞きに来てください。
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